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マリア・ピァ・アーモニアの論理
- マリア
- 「悲しいことだが、人類は、まだ理性を持っておたがいの存在を寛容にうけとめ、融和しあう状態ではありません。そういった人類なら、緊張状態を継続することによって、傷つけあうことを我慢させて、その間に、教育していくしかないでしょう。
人種のちがい、地域性のちがい、文化的なちがい、宗教上のちがいから来る主張をいいつのって、それが、絶対的主権であると信じている間は、おたがい傷つけあうことをやめないのです。
せまいエゴイズムを発揮するだけなのです。
個性と主権、おのれがおのれであり続けるということは、もっと違う性格のものなのです。それを知らしめるには、教育しかありません。
旧世紀の冷戦時代の集結の後に来た地球の混乱は、まさにのその種のものでありました。
各個に独立と自主をとなえるのは、民族と個人の主権を主張するという意味では、正しいように見えても、それは、封建制下の世の中に生まれた考え方の反動でしかないのです。
そうでなければ、民族的な鬱屈感、搾取されていた人々の心がおこさせたことなのです。
恨みの心です。
二十一世紀の始まりは、そういった民族のエゴイズムと宗教的な反目と理念だけを追求して、地球がカオスになってしまったのです。
それともうひとつ、政治的な思考と経済的な思考と理念がごっちゃになった考え方が、人々をとらえてしまったのです。
それらのしわけができないのです。
環境保全というテーマでさえ、政治的な力の関係の中で語られれば、その時々の経済的、政治的な理由と理念だけで排除され、時間をついやされてしまいます。
バイオテクノロジーの発達は、良き方向での品種改良だけを生むことはなく、クローン人間の悲しみと悲哀を見るだけで、普通に生まれ育った人を楽しませることはありませんでした。
長寿が、どれほど私たちに生の喜びを与えてくれたでしょうか? 長く生き続けることが、生の喜びを倍加してくれることはありませんでした。
人々は、右に左に揺れてすぎて、その結果、人が生きるために絶対に必要であったはずの地球までも、犯しきったのです。
フォンセ・カガチ宰相がかねがね主張している、多すぎる人類を整理するというのは、考え方としては認めましょう。
けれど、スペースコロニーを手に入れた人類は、太陽が終息するまでに、新しい惑星に移住できる技術と精神を共有する主として、革新していくための勉強する場を手に入れなければならないのです。
その勉強、教育の場が、緊張状態でなければ、手に入らないというのなら、そうしましょう」
- クロノクル
- 「太陽が消滅するときまで、人は、どのように生き延びているのでしょうか?」
- マリア
- 「肉体と精神は、はっきりとした相関関係にあります。精神が鍛えられて、存在そのものとしてもあり得るようになれば、精神は時空を跳びましょう。
そうして、新しい肉体を再生させて、生きることができるようになりましょう。百万年という時間があれば、可能でありましょう」
- クロノクル
- 「精神? 気ですか?」
- マリア
- 「どう言っても良い。そういう、次のための力(フォース)がわたくしたちの肉体には、宿っているのです。そうでなければ、わたくしたちは、宇宙という真空に、生活の場を獲得することはなかったのです」
- クロノクル
- 「スペースコロニーは、それほど有効でしょうか?」
- マリア
- 「わたくしたちは、この宇宙にあっても同一種として認識できるのは、精神的なものがあるからです。現在の宇宙戦国時代というのは、まだこの環境に慣れていない人類が、認識しあいたいという衝動があるからこそ、行っていることなのです。この自らを鍛える状態をくぐり抜けて、学習を積み重ねれば、人類は、革新しましょう」