菊代「侮辱を忍のは、もうまっぴらですわ」
ゆかり「そう、それこそどこかのゴシップ記事のネタになるようなもの」
菊代「つまり、人目を引くために嘘を書かれます」
ゆかり「そうよ、まあ息の根のあるうちに、貴女の方こそあることないこと書かれないようにね」
菊代「でも、福沢祐巳の犬を見ただけで頭にきます!」
ゆかり「およしなさいな、喧嘩はご主人たちどうし!」
菊代「わたくしたちも負けはしませんわ!」
ゆかり「おや? 来ましたわ、祐巳さんところの2人」
菊代「やっておしまい、わたくしが援護しますわ」
ゆかり「あの方々を笑いものにして差し上げます」
菊代「喧嘩を売るわ!」
真美「指を噛みましたね?」
菊代「噛みましたわ」
真美「バカにする気?」
ゆかり「とんでもない!」
菊代「わたくしは、指噛みなとした覚えはありません。ただ指を噛んでいるだけですわ」
ゆかり「喧嘩を売る気?」
真美「喧嘩を売る? とんでもないことです」
菊代「売る気なら買いますわ。わたくしは負けません!」
真美「勝てるのかしら」
菊代「……」
ゆかり「勝てると言いなさい!」
菊代「勝てます!」
真美「ウソですわ! それなら剣を抜きなさい!」
志摩子「バカな真似はおやめなさい! 剣を納めて!」
令「腰抜け相手に剣を抜いて、どうしようというの? 志摩子、私が相手よ。覚悟しなさい、命はないわ」
志摩子「わたくしは仲裁に入っただけのこと。貴女こそ剣を納めたらどう? それとも力を貸して、この方々を、それで引き分けて貰いたいわ」
令「仲裁? 仲裁ですって? 願い下げだわ。地獄も福沢祐巳も嫌いだわ。貴女もね!」
蓉子「何事ですか、この騒ぎは? ねえ、長剣をよこして、私の」
江利子「いけません、おやめになって」
蓉子「もう、剣だというのに! 蔦子が来るでしょ。カメラなんて向けて、まるで私への面当てだわ」
三奈子「おのれ、蓉子め! 止めないで、放して!」
蔦子「いけません、また問題を起こす気」
学園長「静まりなさい! 治安を乱すふらち者!
なんと、聞く耳を持たぬというのですか? ここな、羊の皮を被った獣めら!
貴女たちの、わたいない言葉から始まったこの騒ぎは、一瞬にして我がリリアン女学園の平和を乱しました。
それもこれで3度目。ひめゆり会、そして山百合会。今後、再び騒ぎを起こしたら、騒乱罪で退学にしますよ」
三奈子「何物なの、この古い諍いをまたしてもかき立てたのは?」
志摩子「いや、敵方の妹たちと、三奈子さまの妹が、ちょうどここで切り結んでいる、そこへ私が来合わせたのです。
私も剣を抜き合わせて、双方分けようとしていますと、たまたま向こうから、あの猪武者の令さまが、これも抜き身を提げて来合わすという具合。彼女、いきなり私に戦いを挑むと、振りかぶるなり、風を切って振り回すのですが、あいにくの風の方じゃ、私たちお互い切り結んでいるうちに、ますます人数は馳せ加わり、それぞれ別れて戦っているところへ、学園長が見えて、お引き分けになったというわけです」
蔦子「祐巳はどこ? 姿を見ましたか? あの子が騒ぎの場にいなくて本当に良かったわ」
志摩子「日の出前に、温室の辺りを歩いている姿を見たことがあります」
三奈子「毎日行っているらしいわ。目に朝霧のような涙をたたえて」
三奈子「暗い気分は不吉な雲を呼びます。心から話せる友が必要です」
志摩子「私にお任せを。よほどのことでない限り、きっとこの悲しみの原因(もと)を探り出しますから」
三奈子「ありがとう。では私たちは教室へ行きましょう」
志摩子「ごきげんよう、祐巳さん」
祐巳「まだ朝なの?」
志摩子「そうよ、9時になったばっかり」
祐巳「そう、悲しい時の時間は長いわ。さっきのは三奈子さま?」
志摩子「ええ。それにしても、何を悲しんでいるの?」
祐巳「喜びを持てないから」
志摩子「恋でもしているの?」
祐巳「いや、恋の……」
志摩子「かなわぬ嘆き?」
祐巳「私の想う人の思わぬその恨み。姿やさしき恋の神が、こうも冷酷とはね。ああ、目隠しをしたまま、見えないのに矢を射当てるの」
志摩子「教室へ行きましょう」
祐巳「また騒ぎ?
まって、言わないで、聞き飽きたわ。争う憎しみより、恋は苦しい。
ああ、争う恋、恋する憎しみ、無より生じた有なるもの、心しずむ浮気の恋、大真面目なたわむれ、美しいものと見せかける醜い混沌……眠りとは言えない醒めた睡眠……。
微塵も恋心がわかないこの私が、しかもその恋をしているの。おかしいと思わない?」
志摩子「泣きたいわ」
祐巳「何のために?」
志摩子「貴女の悲しい心に」
祐巳「そんな同情はありがた迷惑だわ……。私1人の悲しみだけで、この胸はもう一杯なのに、その上に志摩子さんの悲しみまで背負わせて、さらにも悲しみをひどくしようというの?
恋よ、恋とはため息とともに立ち上る煙。燃えて恋人の目に輝く炎となり、抑えれば、恋人の涙が降り注ぐ大海となる……。
それだけ。息の根も止まる苦汁かと思えば、生命を養う甘露でもあるわ。じゃあね、志摩子さん」
志摩子「待って、一緒に行きましょう。置いてきぼりなんて、ひどいわ」
祐巳「私の方こそ迷子なのよ。ここにあって、ここにあらず」
志摩子「真面目な話、誰に恋しているの?」
祐巳「何? みじめな話をしろってこと?」
志摩子「みじめ? そうじゃなくって、誰なのか真面目に教えてってこと」
祐巳「教えるわ、志摩子さん、私はある3年生に恋してる」
志摩子「そこまでは図星ね」
祐巳「すばらしく美しいお姉さまだわ」
志摩子「なるほど、でも、祐巳さんなら射落とすのは、簡単なはずでしょう」
祐巳「キューピッドの矢でも落ちないお姉さま。目の誘惑にも黄金の光にも、なびかないわ」
志摩子「そのお姉さまは生涯、妹を持たないつもりなのかしら?」
祐巳「そのように誓ったらしいわ」
志摩子「そんなお姉さまは忘れなさい」
祐巳「忘れる方法は?」
志摩子「ほかの美しいお姉さまを見ればいい」
祐巳「それはかえって、あのお姉さまの素晴らしい美しさを、よけい引き立てるばかりよ。
絶世のお姉さまというのを、見せてもらえるならそれもいいわ。でも、何の役に立つっていうの。結局、更にひときわ立ち優ったあのお姉さまの姿を思わせる、いわば心の覚書になるだけ。
失礼ですけど、忘れてしまう方法なんて、貴女に教えられるものですか」
志摩子「いずれ必ず教えますわ。忘れ死にはしないつもりだから」
次回……第1幕 第2場 講堂裏