>>トップページへ >>Sachiko&Yumiトップへ

『Sachiko&Yumi』
第2幕 第2場 小笠原家の庭園

祐巳「なんでしょう、あの向こうの窓から射して来る光は?
 向こうは東、とすれば祥子さまは太陽だわ!
 美しい太陽、さあ昇って! そして嫉妬深い月の光を消してしまって!
 月に仕える乙女のあなたが、主人よりもはるか美しいそのために、あの月はもう悲しみに病み、色蒼ざめているのです。
 もう月の乙女になるのはよして下さい。月は嫉妬深い女神なのです。侍女の美しき乙女に、病に蒼ざめた緑の服を着せるに決まってます。そんなものは脱ぎ捨てて!
 ああ、あの人は私のお姉さま、私の思いの人。いや、まだそうと私の心が通じでいればいいと思うばかり!
 何を言っているの、いや、何も言ってやしないわ。だけど、それがどうしたというの!
 あの眼が物を言っているのよ。よし、答えてみせましょう。
 いや、厚かましすぎるかな? 私に話しかけているのではないわ。
 大空の、ことにも美しい2つの星が、何か用事にでも呼ばれて往って、帰るまで、代わりに彼女らの星座に瞬いてもらいたいと、お姉さまのあの2つの瞳に頼んでいるの。もしあの瞳が、大空に輝いて、代わりに星たちがあの顔に輝くとしたらどうでしょう?
 ちょうど日の光の前のランプのように、あのお姉さまの頬の美しさは、それらの星たちをさえ恥じ入らせるに違いないわ。天に挙げられたあの瞳は、大空一杯に光をみなぎらせ、ために小鳥たちも歌声をあげ、夜を昼と見まごうかも知れない。ああ、あの片手に頬を依せかけた姿!
 かなう願いなら、いっそあの手を包む手袋になってみたい、そしてあの頬に触れていたいの!」
祥子「何故なの」
祐巳「何か言ってる。ああ、光り輝く天使よ、もう一度」
祥子「祐巳……ああ、祐巳……何故、あなたは祐巳なの?
 その名をお捨てになって……できないなら、私が山百合会を捨てます」
祐巳「もっと聞いていようか、それとも話しかけようか……」
祥子「敵なのは、そのひめゆり会のお名前だけ。名前など何の意味があるの、ひめゆり会は何? 手でもない、脚でも腕でもない……身体のどの部分でもないわ。
 どうか別のお名前に……名前とは何? バラが別の名前でも、香織は変わらない。祐巳という名前を捨てても、完璧なお姿に変わりはないはず……。
 その名をお捨てになって……そして私を受け入れて下さい」
祐巳「受け入れます。
 ただ一言、私を妹と呼んで下さい。すれば新しく洗礼を受けたの同様、今日からはもう、たえて祐巳ではなくなります」
祥子「祐巳なの? ひめゆり会の?」
祐巳「私に名前なんてありません」
祥子「何故ここに? 庭の塀は高いはずなのに……見つかれば危険だわ」
祐巳「恋の翼を妨げる塀なんて、存在しません。
 恋はどんな危険もおかします。誰にも止められません」
祥子「見つかれば、捕まってしまうわ」
祐巳「ならば夜の闇に身を隠しましょう。ですが、もしも、あなたの愛が得られないなら、いっそ命を終わらせる方がましです。愛のない生は虚しい……」
祥子「誰の手引きでおわかりになって、ここが?」
祐巳「恋の手引きです。そもそも尋ねる心を促したのも恋なら、知恵を貸してくれたのも恋、私はただ恋に眼を貸しただけなのです」
祥子「夜の仮面に隠されて、恥じらう貴女に見られずに済む……聞かれてしまうなんて、あの言葉を取り消したい。
 もう体裁なんて私もいや! 愛して下さる、本当に? ええ、と言って下さるわよねえ。
 お言葉通り信じますわ。といって、いくら誓っていただけても、お破りにならぬとは限らない。恋人に二枚舌にだけは、ジョゥブの神様もお笑いになるより仕方がないですもの、かわいい私の祐巳、もしも愛して下さるなら、ねえ、正直に仰って」
祐巳「誓います。木々を銀に染める清らかな月にかけて」
祥子「月に誓わないで。不実な月は満ちたり、欠けたりする……心変わりが怖いわ」
祐巳「では、何に誓えと?」
祥子「誓わなくてもいいわ。でも、お望みなら、あなたご自身にかけて誓って下さい。それなら信じます」
祐巳「では、心からこの愛に……」
祥子「いけないわ、今夜誓うのは賢明ではないわ。あまりに突然で無分別な稲妻のよう……たちまち消えてしまう。
 この恋のつぼみ、きっと次にお目にかかれる時には、夏の風に育まれて、美しい花を咲かせましょう。おやすみなさい」
祐巳「満たされない私の心は?」
祥子「何がお望みなの?」
祐巳「あなたの愛の真実の誓いです。私の誓いと引き換えに」
祥子「とっくに差し上げたわ。できることなら返していただきたいけど」
祐巳「何のために?」
祥子「もっと気前よく、もう一度差し上げるために」
瞳子「お姉さま!」
祥子「あなたの愛がまことで、結婚を考えて下さるなら、いつ、どこで式を挙げるか、明日、後輩を差し向けますから、お返事を……。全てを投げ捨て、あなたについて行きます」
瞳子「祥子お姉さま!」
祥子「今すぐ行くわ。
 でも、本気でないなら……」
瞳子「お姉さま!」
祥子「すぐ行くわ!
 どうか、もう私を追わないで……。
 とにかく、明日、後輩を差し向けます」
祐巳「神にかけて」
祥子「よい夜を……」
祐巳「貴女がいなくては、悲しい夜だわ」
瞳子「お姉さま、祥子お姉さまあ!」
祥子「おやすみなさい」 祐巳「恋人に会う心は、下校する生徒のように軽く、恋人と別れる心は、登校する生徒のように重いわ……」
祥子「祐巳!
 後輩は何時に?」
祐巳「朝9時頃に」
祥子「まるで20年先のことのよう……。
 忘れたわ、何のために呼び止めたのかしら」
祐巳「ここに立っています。思い出していただけるまで」
祥子「じゃあ、思い出さないでおくわ。そうしたら、ずっとそこにいて下さるのでしょう。あなたとどんなに一緒にいたいか、ただその事だけを考えながら」
祐巳「それなら、わたしも立っています。祥子さまが思い出していただけないように。そして、わたしはここ以外、ほかの家のことを忘れます」
祥子「わたしはまるで、いたずらっ子に飼われている小鳥のようだわ。可哀想に、まるで鎖に繋がれた囚人のように、ちょっとは手を放してくれるけど、すぐまた絹の細ひもで引き戻される。相手が自由になればなるで、愛ゆえの不安に身を焼くのだわ」
祐巳「わたしは、むしろ小鳥になりたい」
祥子「でも、わたし、可愛がりすぎて殺してしまうかもしれない。
 ああ、もうこんな時間だわ。おやすみ、別れは切ないわ。朝まで『おやすみ』と言い続けていたい」
瞳子「祥子お姉さまあ!」

次回……第2幕 第3場 シスター佐藤の庵室

inserted by FC2 system