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『Sachiko&Yumi』
第4幕 第1場 シスター佐藤の庵室

聖「木曜日とおっしゃりましたね? これはひどく急なことで」
柏木「蓉子さまがそう望みます上に、私としても、別にそれを引き延ばすほど、急いでいるわけではありませんので」
聖「本人の気持ちは? 祥子の心を確かめないうちは、賛成できないわね」
柏木「令さまの死を嘆いてばかり、蓉子さまはさっちゃんの悲しみを終わらせるためとの深いお考えから、僕との結婚を急ぐことになったのです」
聖「ああ、ちょうど祥子がこちらへやってきたわ」
柏木「さっちゃん! まさか会えるとは、愛しい妻……」
祥子「さあ、私が妻になれば、そうかもしれませんね」
柏木「その『かもしれません』が、木曜日には、『必ず』になるのです」
祥子「『必ず』と仰るなら、それはきっとなりましょうね」
聖「これは確かに名言ね」
柏木「今日は告解に?」
祥子「それに答えれば、あなたに告解することに」
柏木「あの方は、あなたの気持ちを心配していらっしゃる。隠さずに言いなさい。私を愛していると……」
祥子「じゃ、あなたに打ち明けて申しますが、私、あの方を愛しています」
柏木「それじゃ、きっと私を愛していて下さるということも」
祥子「とすれば、陰で言った方が値打ちがあるでしょう」
柏木「かわいそうに、あなたの顔は涙ですっかり汚れている」
祥子「どうせ、涙で汚れる前からひどい顔ですから」
柏木「それはまたひどいお言葉、涙よりひどい。お顔が泣きましょう」
祥子「いいえ、本当を言うのは、それは悪口にはなりませんわ。私の今の言葉は、面と向かって自分の顔に言ったことですもの」
柏木「でも、あなたの顔は私のもの、その悪口を言ったわけですよ」
祥子「かも知れませんわね、ないといえば、私のものではない。
 聖さま、お忙しいなら夕べのミサの時に改めて参ります」
聖「今で構わないわ。悲しげな娘よ。申し訳ないがふたりだけに」
柏木「もちろんお勤めのお邪魔をするつもりありません。
 さっちゃん、木曜日に迎えに行きます。その時まで、どうぞ、この清い口づけを忘れないでください」

祥子「ああ、ドアを閉めて! そして、私と一緒に泣いてください! もう駄目、望みもなければ、手だてもない!」
聖「祥子、あなたの悲しみはもうちゃんと知っているわ。  私もいろいろ考えてみたけど、どうにも私の知恵には及ばない。この木曜日には、どうにもあのお金持ちと結婚しなければならないわ。
 なんとも延ばす手はないということね」
祥子「ですから、何とかそれがやめになる工夫、それを教えていただけないくらいなら、この話、聞いたことなどは、仰らないで下さい。
 もし聖さまのお知恵でも解決できないというなら……この懐剣で、今にも私は片を付けて見せますわ」
聖「よしなさい!」
祥子「方法がないなら死なせて下さい!」
聖「かすかな望みならある。でも、それには命がけの勇気が求められるわ。
 柏木と結婚するくらいなら、命を絶つというのであれば、死に等しい行為もいとわぬはず。恥辱を避けるためにはね」
祥子「どんなことでも恐れず、迷いもせずにやって見せます。祐巳の妹として操を守るためなら」
聖「その勇気があれば、この薬をあげよう。
 体温も呼吸もなく、命もしるしは消える。
 手足も動かなくなり、死体のように冷たくこわばる。
 結婚式の前夜、飲みなさい。朝になって花婿が迎えに来た時には、お前は死んでいる。
 そして、小笠原家の墓所に運ばれる。
 硬直した仮死状態のまま、二十四時間眠り続け、熟睡の後のように目覚める。
 ……変わりやすい気まぐれや、女々しい気後れに、実行する勇気を失わぬ限りはね」
祥子「下さい、その薬を! 決して気後れなど!」
聖「ああ、わかった。行ってよろしい、しっかりと、そして上手くやるのよ。祐巳ちゃんには、手紙で計画を知らせて呼び寄せ、夜のうちに、あなたたちは小田原に逃げるのよ。
 さあ、勇気を出して、この瓶を持って帰りなさい」
祥子「愛よ、私に勇気を! 強い心があれば道は開けるわ!」

次回……第4幕 第2場 小笠原家の広間

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