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『Sachiko&Yumi』
第5幕 第3場 リリアン女学園の教会

柏木「あの向こうのイチョウ並木の陰、あそこに隠れて、近づいてくる者を見張るのだ。
 近づく者が見えたら口笛を吹くのだ、誰かが来たらしいという合図にな。
 その花束をよこせ、言いつけ通りにするのだ」
小林「こんな校舎にたった一人で、どうも怖くてたまらないのですが、仕方ありません、やってみましょう」
柏木「花の乙女よ、あなたの新床に花を撒いてあげよう。
 おお、可哀相に、これは土と石の天蓋ではないか。
 せめて私が、夜ごと香しい水を注いであげよう、それもなければ、嘆きにしぼる涙の露なりともね。
 あなたに捧げる私の手向けは、こうして夜ごと、あなたの墓に花を撒き、そして泣くことなのだ」

小林、口笛を吹く

柏木「誰かが来たらしいぞ、後輩が合図している。
 忌々しい、何者だ、今夜こんなところへうかうかと出てきて、私の手向け、心尽くし回向を邪魔しようという奴は?
 うむ、ライトなど持って! 夜の闇よ、しばらく私を包んでいてくれ」

祐巳「まって、この手紙を持って行って、明日朝早く、きっと父上にお渡しするのよ。
 明かりをちょうだい。
 それから堅く申しつけるけど、どんな物音がしようと、何事を見ようと、知らない顔で、決して私のすることに手出しをしないで。
 今、奥城へ降りてゆくけど、それは一つには祥子さまの顔を見るため、でももっと大事な用事は、祥子さまの指から、貴い指輪を抜き取ってこようというのよ。
 私はそれを、ある大事な用に使いたいのと思っているの。
 だから、乃梨子はあっちへ行って、もし疑心など起こして立ち戻り、これ以上、私のすることを窺ったりしたら、それこそ神にかけて、八つ裂きにしてあげるわ」
乃梨子「お願いです! 行けば殺されてしまいます!」
祐巳「何も言わないで、よく私に尽くしてくれました。達者で暮らしなさい。このお金を……ここでお別れだわ」
乃梨子(ああ仰ったけど、どこかこの辺りに隠れていましょう。どうもただのお顔色ではないわ。何をなさるかが気がかりだわ)

祐巳「今こそ貴様の、その腐れ果てた顎をこじ開けて、その面当てには、もっともっと餌食を詰め込んでやるわ」
柏木「確か今のは追放の身の福沢祐巳、我が恋人の親友を殺し、恐らくはその悲しみに、美しいさっちゃんの生命まで縮めさせたという、傲慢無礼の祐巳の奴だ。
 今また遺骸までも、何か悪行を加えに来たな。
 おい、福沢祐巳、神を恐れぬ所行をやめろ!
 殺した上に、なおまだ復讐を加えようというのか?
 罰当たりの悪党奴、引っ捕らえてくれるぞ。
 黙って俺について来い、生かしてはおけん奴だ」
祐巳「いかにも生きてはおれない身、だからこそここへ来たのよ。
 君も若い立派な男、絶望に狂った人間を怒らすのはよしなさい。
 早くどこかへ行って、私のことは構わないで。
 この死人たちのことを考えて、少しは怖さを知るといい。
 お願いだから、私をわざわざ怒らせて、この上さらに罪を重ねさせないで。
 誓っていうけど、私は私自身よりも君を愛しているわ。
 ここへ来たのは、われと自分を殺す決心で来ているのよ。
 グズグズしないで往って、生命永らえて、あとでこう言うといいわ、狂人の情けで逃げろと言われたとね」
柏木「そんな願いを誰が聞くか!
 重罪人として、今ここで引っ捕らえてやる」
祐巳「刃向かうとは……それじゃ、"小僧"、行くぞ!」
小林「これはいけない、果たし合いだ! 警備の者を呼んで来よう」
柏木「ああ、やられた! おい、情けがあるなら、せめてさっちゃんの側に葬ってくれ……」
祐巳「ええ、引き受けたわ。柏木さん、その手をちょうだい。
 私と一緒に、君も不幸な運命のリストに、名前を書き並べられた人間。
 きっと栄光の奥城に葬ってあげるわ。……奥城?
 いや、そうではないわ、亡き若人よ、ここは光明の高窓よ。
 見て、祥子さまが眠っている、そしてその美しさが、この奥城をまるで光り輝く宴の広間にしているのよ。
 さあ、死よ、ここに眠るがいい、葬るものも死人の手だわ。
 死に瀕した人間が、かえって俄に心楽しくなることが、よくあるものだという。
 看取りの者どもは、それを、死の前の閃きだと行っている。
 だが、どうしてこれが、閃きなどと言えようか?
 愛する恋人、愛する夫、死に命を吸い取られても、美しさは変わらない。
 まるで生きているようだわ。
 まだ唇や、頬がうす赤く染まっている。
 青白い死の影は見えないわ。
 令さま、貴様もそこにいるな、朱に染めた屍衣に包まれて。
 貴様の青春を真っ二つにした、この手で、今その当の敵だった男の青春を切り裂いてやるが、これ以上の貴様に対する追善はよもあるまい。
 許して、令さま。
 ああ、祥子さま、何故、まだこんなに美しいの?
 うつろな死神までが君に恋をし、暗闇に君を囲っておく気か。
 そのためにも、私はいつまでもあなたと一緒にいる。
 この暗い夜の宮殿から、どんなことがあっても、私は離れないわ。
 ここに、こうして、私はいる。
 こここそは、私にとって永遠の憩いの場所であり、生に疲れた肉体から、不幸な星を振り落とそう。
 目よ、よく見よ、見納めだわ!
 腕よ、最後の抱擁よ!
 そして、ああ、命の息の扉よ、聖なる口づけで封印を。
 さあ、我が愛しの人のために! 死の神と、永遠の契約を……」

聖「南無、聖マリア、まもらせ給え!
 ……!? だれ?」
乃梨子「怪しい者ではございません、しかもあなた様をよく存じております」
聖「乃梨子ちゃんか、それはよかった。ところで何、あの向こうの燈は?
 いたずらに眼のない髑髏どもを、照らしているらしい。
 どうやら見たところ、お聖堂に明かりが点いているみたいだけど」
乃梨子「さようでございます、聖さま。
 手前お姉さま、聖さまにお目をかけていただいております手前のお姉さまがいられるのでございます」
聖「お姉さまとは?」
乃梨子「祐巳さまでございます」
聖「ところで、いつからいるの?」
乃梨子「たっぷり三十分ばかりも」
聖「では、私と一緒に、お聖堂へ来てちょうだい」
乃梨子「いいえ、とんでもない。
 ぐずぐずしていて、万が一私のやることを窺ったりしたら、命はないぞと、恐ろしい権幕でございました」
聖「では、ここにいるといいわ。私一人で行きます。
 だが、それにしても気がかりね。
 これは何か、悪い、不詳なことでも起こるのではあるまいか」
乃梨子「実は、今もこの桜の木の下で、ウトウト致しますうちに、お姉さまが、だれがよその方と果たし合いになりまして、とうとうお姉さまが、相手を殺してしまった夢を、見ましたようなわけでございますが」
聖「祐巳ちゃん!
 ああ、なんというこれは血だ?
 お聖堂の入り口の石を真っ赤に染めている。
 それに、これはまたどうしたことだ、主のない血塗れの刀が二本、場所もあろうに、安らかな休息の場所に、血糊のまま、打ち捨てられているとは?
 祐巳ちゃんだ! ああ、真っ青になって!
 ところで、もう1人は? なに、柏木も?
 ああ、なんという無惨な時の仕業、こんな悲しいことを、一時にしでかそうとは!
 祥子が起きたわよ」
祥子「ああ、有難い聖さま! 祐巳はどこへいらっしゃいます?
 私が今何処にいるか、それはよく覚えておりますわ、ここが、そうなのでございましょう。
 私のあの祐巳は、どこにいらっしゃいますの?」
聖「人の声がする。お嬢様、さあ、早くその死と、疫病と、そして不自然な眠りの床から出るといい。
 どうやら。人間の力ではどうにもならない大きな力が、私たちの計画を阻んでしまったものとみえる。
 さあ、出なさい。あなたの妹は、それ、あなたの胸の上に倒れて息絶えているわ。
 それから、柏木もね。
 さあ、あなたのことは、修道院で預かってもらうとしよう。
 何も言わないでおいでなさい。警備の者が来るわ。
 さあ、早く、お嬢様。これ以上グズグズしていられない」
祥子「いいえ、聖さまこそおいでになって。私はいやでございます。
 なぜ? どうしてこんなことに?
 これは? 毒薬ね。ひどいわ、一滴も残さないなんて、口づけを、毒が残っているかも知れない。
 すれば毒がかえって生命の妙薬、死んでお供ができるわ、きっと。
 唇がまだ暖かい……祐巳……私の真実の愛……」
警備一「おい、先に行って。どっちだ、道は?」
祥子「ああ、あれは人の声? ぐずぐずしてはいられない。
 ああ、嬉しいこの短剣!」
聖「祥子! その短剣をこっちへ!」
祥子「この胸、これがお前の鞘なのよ。
 さあ、そのままにいて、私を死なせて……」

小林「ここです。ほら、あの燈の点いているところ」
警備一「あたり一面血だらけだ。お聖堂の周りを探してみろ。
 さあ、誰か行って、人がいたら捕まえろ、だれかれの容赦はいらぬ。
 何という有様だ!
 ここには柏木様が殺されているし、これはまたお葬いしてもう二日にもなる小笠原様が、血を流して、まだ温かいまま、亡くなったばかりの様で倒れておられる。
 行って、学園長様にご報告申し上げろ。
 それから、水野へもな。築山様も叩き起こすのだ。
 残ったものはもっと調べろ。
 悲しい不幸の数々が横たわっている、その在り場所は、この通り判っているが、さて、こうした痛ましい不幸の本当の原因の在り場所は、もっと詳しく調べないと、はっきりしないからな」
警備二「福沢祐巳の従者だそうです。温室で見つけました」
警備一「学園長様のお見えになるまで、逃がさぬように押さえておけ」
警備三「教会のシスターですが、吐息をついては、ふるえて、泣いております」
学園長「朝早くから、いったい何事が起きたのです?
 せっかくの朝の眠りから、私たちを呼び出そうというのは?」
蓉子「やれやれ、何としたことです。学園中大声で喚き立てて」
江利子「なんでも生徒の声では、大声で祐巳と呼ぶもの、祥子と申しますもの、柏木と申しますもの、それがみんな大声をあげながら、お聖堂の方へ駆けて参ります」
学園長「私たちの耳を驚かす、あの恐怖の呼び声は何事ですか?」
警備一「学園長様、これ、この通り柏木様が斬られておいでなさいますし、こちらには福沢様が息絶えておられる、それにまたとうに亡くなったはずの小笠原様までが、温みさえ残って、殺されたばかりの体にお見受け致します」
学園長「よく調べて、どうしてこのような殺人が行われたか、はっきりさせなさい」
蓉子「なんてことなの! ご覧、祥子が血だらけよ!
 この短剣は、祐巳がさげていたもの。
 鞘やもぬけの殻で、祥子の胸に突き刺さるとは」
江利子「ああ、この歳になって、こんな悲しい目を見ますとは、ただもう墓場の近いものを教えてくれるが、弔いの鐘も同様でございます」
学園長「さあ、築山さん、あなたも時ならず早く起き出して来ましたか。
 見てのとおり、これはそれにもまして、時ならず早い眠りに就かれた親友の姿です」
三奈子「ああ、なんという不心得者が! 私に先立って、墓場へ急ぐとは、これがいったい礼儀か、作法か?」
学園長「いろいろ不審の点をはっきりさせ、その原因、その源、そしてそのよって来る真相がわかるまで、ひとまずこの凶行の跡は、閉ざし隠しておくといいわ。
 あなた方の不幸を悲しむについては、私ももとより譲らないつもり、仇の生命もと言われるなら、それにも先頭に立ってあげないでもない。
 だから、それまでは、まず悲しみもじっと忍んでもらいたいわ。
 疑わしい者どもがあれば、連れて参りなさい」
聖「私が、全ての真相を知っています」
学園長「それではこれについて、知るところがあればすぐに申しなさい」
聖「では簡単に申し上げます。
 そこに息絶えている祐巳は、祥子の妹、同じくそこに息絶えている祥子は、祐巳の操正しい姉でありました。
 この私が妹の契りを結ばせたのです。
 ひそやかな契りの日が、令の最期の日、その非業の死により、最愛の妹はこの学園を追放となり、それが祥子の悲しみは、親友の令のためではなく、妹祐巳のためだったのです。
 ところが、あなた方は祥子の悲しみを除こうと、あの柏木殿と無理強いに婚約させ、あまつさえ婚礼までなさったのです。
 そこで祥子は、私のところへお見えになり、すっかり思い詰めたご様子で、何とかこの婚礼を逃れる方法を考えて欲しい、でなければ私の庵室で自殺したいとおっしゃる。
 そこで私も、かねがね習い覚えておりました眠り薬を差し上げましたが、これはすっかり思い通りの効き目をあらわし、祥子は全く死んだ者のようになってしまわれました。
 一方私は早速祐巳宛てに手紙を認めまして、ちょうど今夜は、薬の効き目もなくなる時ですから、帰ってきて、祥子をその仮の墓場から救い出すのに、手をかして欲しいと言ってやりました。
 ところが、あいにく使者になった可南子めが、思わぬ事故に阻まれまして、昨夜その手紙を、そのまま持ち帰って参りました。
 そこで結局私ただ一人、祥子の目を覚まされる予定の時間をおしはかり、お聖堂の祭壇からお救い申そうと、やって参ったわけであります。
 と申しますのは、一時とにかく私の庵室にひた隠しにお隠し申し上げて、折を見て祐巳には使いをやる機会を伺っていたわけであります。
 ところが、祥子が目を覚まされる直前に参って見ますと、この通り思いもよらぬ柏木殿、それから祐巳までが、息絶えて倒れておられる始末でございます。
 祥子は目をお覚ましになりました。
 私はすぐにでもお出になるよう申し上げ、いずれは天命の致すところ、じっとお忍びなさいませと申し上げました。
 ちょうどその時人の声が致しまして、私は驚いてお聖堂を逃げ出しましたが、祥子にはすっかり思い詰めたご様子で、どうしても私と一緒にお出になりませんでした。
 お見受け致しましたところ、どうやら我が身をあやめたもとと存じます。
 私の存じておりますことはこれだけ、なお結婚のことにつきましては、あの祥子の従妹も与っておりますが、もしこの始終につき、私に落ち度がありましたら、容赦なく厳しい法に照らし裁いていただきましょう」
学園長「私たちは、あなたをかねてから高徳の僧と思っています。
 ところで、福沢さんの従者という生徒はどこにいます?
 何か言い分はないのですか?」
乃梨子「私が祥子さまの最期をお姉さまに申し伝えますと、お姉さまは小寓寺から、ここ、このお聖堂へと飛んで帰って参りました。
 そしてこの手紙を、朝早く父上に届けてくれと仰せで、それからお聖堂へ向かいながら、そのままお姉さまを残して、早々私が立ち去ればよし、でなければ生命はないぞと、それは恐ろしい権幕でございました」
学園長「では、その手紙とやらをこれへ。私が読んでみましょう。
 それから、警備を呼び起こしたという柏木殿の後輩は何処?
 これ、その方の先輩はここで何をしたのですか?」
小林「柏木様は奥様の祭壇にお撒きになろうとして、花をお持ちになりまして、私には座を外すようにとの御命令でございましたので、私はそう致しました。
 ところがまもなくだれか、洋燈を持って、お聖堂に参った者がありましたが、するうち柏木様が剣の抜いて、この女が斬ってかかる、そこで私は、大急ぎで、警備の者を呼びに、駆けて参ったわけでございます」
学園長「なるほど、この手紙で、二人の恋の仔細、小笠原さんの死の知らせなど、このシスターの言葉に偽りでないことは判りました。
 なお、それによれば、彼女が哀れな薬屋から毒薬を求め、それをもって死を覚悟でこのお聖堂を訪れ、小笠原さんと姉妹の契りを結ぼうとした意向も、ちゃんと書かれてある。
 仇敵同士の両人は何処にいる? ひめゆり会! 山百合会!
 これが両生徒会の憎しみへの天罰です。
 二人は愛し合うゆえ、命を絶ちました。
 私もその方たちの仲違いをつい見過ごしていたために不幸を招きました。
 皆、一人残らず罰を受けたのです!」

次回……エピローグ

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